卵巣癌余命宣告から24年、仙骨無痛療法で今もこうして元気に
体験談
2023/11/30
女性 |
|
56歳 |
卵巣がんの末期で余命3ヵ月と宣告されてから24年、今も元気に過ごしています。
◆人生に行き詰まっていた頃、 MRTに出会う
私がMRTに出会いましたのは、一九九四 年の六月のことです。当時は、仕事や人間関係 のストレスで精神的に壊れてしまいそう になる自分を何とかしなければと参加してい たセミナーでMRTの存在を知りまし た。 「MRT仙骨無痛療法を受けると性格も明る く前向きになれる 」と聞いき、また重い腰痛も ありましたので、MRT恵 比寿に予約を入れてMRT仙骨無痛療法を受け 始めました。
◆下腹部に異変が生じて
MRTに通い始めて四年が経った頃(一 九九八年の夏)、下腹部に異変が起きていることに気付きました。
この頃、仕事や人間関係のス トレスを感じる日々は依然として続いており、このま まの自分で生きていくことに行き詰まり を感じていた時期でした。下腹部は日増 しにどんど ん膨らんできてまるで臨月 の妊婦さんのようになり、周りの人から 心配されるようになって、婦人科で診て もらうことにしました。 医師に助からないと言われて 絶望的になる 下腹部はみるみる大きくなっていったの ですが、日々ストレスが続いて何もかもが 嫌になっていた時期でしたので、どうせ 「子宮筋腫ぐらいだろう」と重要視せず、 変化し続ける自分の身体に目を向ける こともなく、他人事のように軽く考え て いました。
◆7つの病院で余命宣告が下る
しかし、病院での診断の結果、 「卵巣癌の可能性が高いので、至急大き な病院に行ってください。紹介状を渡し ます」と言われて、ショックを受けて、しば らく茫然としました。 そして紹介してもらった大学病院を含 めて、全 部で七つの病院に行きましたが、 どこに行っても同じ診断結果で、「卵巣癌 の末期で、何もしなければ余命は三ヵ月 から長くても半年でしょう。このまま放置したら命に関わりますので、す ぐに手術をする必要があります。即刻入 院してください。手術をしたとしても、あ とどれぐらい生きられるかわかりませ ん」と言われました。 予期して いなかった医師の言葉に絶望 的になり、しばらく放心状態になりまし た。 「命に関わる」という医師の言葉が何 度も頭を駆け巡りましたが、どうしても 入院して手術を受ける気になりませんで した。
◆MRTに全てを懸ける
余命宣告をされて、このまま死んでし まうかもしれないという不安な気持ちが 沸く半面、こんな切羽詰まった状況に なってもまだ必死になれずに、現実逃避 を続けてどこか他人事にしている自分が いました。そんなときRTの先生より、師尚がア メリカから御帰国されてMRT本部(恵 比寿)で仙骨治療されていることを教えても らい、早速、MRT本部に予約をして師 尚に仙骨治療をして頂きました。
師尚に「病院で卵巣癌の末期 と診断 されて余命宣告もされたのですが、MR Tで助かるでしょうか?」とご質問した り、お腹が大きいため妊婦さんと間違え られて「いつ生まれるの?」と聞かれるの が嫌で外出したくないことなどをお伝え しました。 師尚より「あなたは今まで本気で何 かに取り 組んだり、真剣に何かをやっ たことがないであろう。自分のことなの に全くの他人事で、あなたの意思はど こにあるのだ! これから先、医 者に 任せるのか、MRTでやっていくのか、他 人に聞くの ではなく自分が決めること なのだ! このまま他人に依存して他 人に任せて、私なんてどうでもいいわと思うなら死んでしまえ!」と御叱り頂 き、 「えっ? 死んでしまえ? 親からも 言われたことないよ… 生まれて初めて 言われた…」と衝撃を受け、怖さも感じ ましたが、同時にとても大きなエネルギ ーで叱責して頂いていることが伝わってき ました。初め てお会いしたのに師尚は日 常の私の態度や考え方を全てお見通し なのだと観じました。 叱って頂いたことで、 「自分のことなのに 他人事のようにしてしまっている自分の ままではいけない、これからは本気で生き ていこう」と決 意し、次の治良のときに 「手術はしません。MRTだけでやってい きます」と迷いなくお伝えしました。師尚 は意識が変わった私に、 「そう、MRT だけでやっていくと決めたのだね。もう、 大丈夫だから…」と御声を掛けてくだ さり、 「あーこのままMRTをやっていけ ばいいのだ」と心底安堵して、涙が溢れた ことを今でもよく覚えています。 それから、週に三回MRT治良を受 け、食生活をMRTで聞いた通り野菜中 心に変えて、病院は検査だけしてく れる ところを数ヵ所見つけました。
◆病院で「まだ生きているの?」と言われてから24年が経ちました
六ヵ月がたった頃、病院に検査に行く と、どこの病院でも末期癌だった患者が 六ヵ月たった今も生きていることを不思 議がられました。ある病院では「まだ生 きていたの?」とあからさまにビックリさ れ ました。そのことから「患者は医師のシ ナリオ通りに弱っていくものなのだ。病院 に行っていたら、医師の言葉通りに死んで いただろう」と感じ、それ以来、病院へは 行かないことにして、現在があります。
◆外に向いていた意識が内側に向き始める
病院に行かないと決めてから、定期的 にMRTを受けていましたが、初めの頃 は、大きくなってしまったお腹の外見ばか りが気に掛かり、早く小さくならないかという想いを溜めるばかりでしたので、大 きくなったお腹は小さくなりませんで した。前世の自分が積み残してきた宿題を 今生で解くためであり、偶然にお腹が大きくなったりしないのだ、と自分の身体に 起きた変化の意味がわかると、人目ばか り気になっていた意識が、自分の内側へと 向くようになってきました。
MRT本部が松山へ移転してからは 「いつか師尚のお膝元である松山で間練 びたい、移住したい」とずっと思い続 け、当 時埼玉で同居しておりました父にも度々 そのことを伝えておりました。そして二 〇一七年四月に父と松山へ移住すること が叶いました。
◆父の他界より間練んだこと
今年の五月に父が九〇歳で他界しま した。 私はこれまでずっと父に甘えて過ごし てきました。長年社会復帰しない娘に ずっと経済的な支援をしてくれて、いつも そばにいて守ってくれていました。父は高 齢でしたので、父がいなくなってしまった ら、私は一人で生きていけるのだろうか…といつも不安がありました。父も私を この世に一人置いていくことをハッキリ口 に出すことはありませんでしたが、気掛 かりにしていました。それが、他界する三 ヵ月ほど前から、 「一人に なっても大丈夫 なのか? 仕事は? 暮らしは? 具体 的にどうしていくのか?」と度々私に尋ね るようになりました。とても穏やかで優 しかった父が時には厳しい口調で、何度 も何度も今後のことを尋ねて、これから 私が一人で生きていく自 覚を促してくれ ました。他界する少し前には「明子が大 丈夫と言うなら大丈夫ですね。その言葉 を信じます」と納得してくれ、その後、少 しして向こうの世界に旅立って逝きまし た。父は三年半にわたり、MRT治良を 受けて霊止乃道に触れ、わずかでも真理 を識るに至りましたので、私という大き な執着を手放して逝くことができたのだ と観じます。 二三年前に余命宣告されたときに、医 師に命を預けていたら、真理に触れるこ ともなく早々と他界していたことでしょ う。
「病気は悪者ではない。取り除くも のではなく、自分のズレに気付くために 顕れている先生であり、必要がなくな れば消えていくのである」との御教示が、 お腹が小さくならないとこだわっていた 私の大きな救いになりました。
体験談は個人の感想であり、MRT治良による効果を説明するものではありません。
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