腰痛、膝痛、肩凝りの劇的快癒で痛み消失、そして腰が伸びた!
体験談
2023/11/21
60歳 |
◆ラジオから私の叔母の耳に飛び込んできた「仙骨無痛療法」
私には、現在七四歳になる叔母(※)がいます。今も元気で農作業に勤しんでいます。その叔母がいつものように、ラジオを聴きながら農作業をしていた一二年前(二〇〇六年)のある日、何とはなしに耳に飛び込んできたのが、「仙骨無痛療法」、「仙骨」という聴き慣れない言葉でした。 それがいったいどういった治療なのか、叔母には今一つよくわからなかったらしいのですが、「とにかく腰痛や膝の痛みも良くなるとラジオで言っていたから、どんなものか一度調べてみてくれるかな。もしかしたら胡散臭いところかもしれないし・・・」と、姪である私に依頼があったのです。 私自身もその頃ひどい腰痛で悩んでいましたので、「その仙骨無痛療法で、もし私の腰痛も何とかなるのなら・・・」という思いもあって、早速MRTに行ってみることにしました。二〇〇六年一〇月のことでした。
◆たった一回のMRT治良で、日常生活もままならないほどの腰痛が消えてしまった
元はと言えば、叔母に頼まれて「本当に効くのかな?」と思いつつ試しに受けてみた仙骨無痛療法でしたが、意外にも一回目の治良であれほどひどかった腰の痛みがあっけなく取れてしまったのです。「えっ?嘘!」と、これには驚きました。 毎日の生活もままならないほどにひどい腰痛持ちだった私は、この腰痛を何とか治したいと整形外科はもちろんのこと、接骨院や整体、鍼灸など思いつくまま、それまでありとあらゆる治療を受けていたのです。 ところがどんな治療を受けても「何となく良いかなー」程度で、痛みが消えてしまうことは決してありませんでした。こんな状況でしたので、「この先、私はどうなっていくのだろう?」と、いつも大きな不安を抱えながら過ごしていました。そんなとき試しのつもりで受けてみた、たった一回の仙骨無痛療法で、あれほどひどかった痛みが一気に取れてしまったのですから、胡散臭いどころかこれは物凄い治良だと感じてそのまま仙骨無痛療法を継続して受けることにしました。 最初の一ヵ月は一週間に二回のペースで、その後三ヵ月は一週間に一度のペースで治良を受けました。そうしたところが、腰痛だけではなく肩に石でも乗せたような慢性的にひどかった肩凝りも、気が付けばいつの間にか消えてしまっていました。
◆私に続いて仙骨無痛療法を受け始めた伯母の腰がみるみる伸びていった
元気になった私の姿を見て安心したのか驚いたのか、私が治良を受け始めて半年が過ぎた頃(二〇〇七年三月)、私に仙骨無痛療法を教えてくれた当の叔母がようやく「私もMRTに行ってみようか」という気持ちになり、MRTに通い始めました。 その叔母も私と同様、「今までの痛みは、いったいなんだったんだろうかね?」とRTの先生に聞いてしまったほどに、曲がっていた腰がみるみる伸びて、立つこともできないほどにひどかった腰痛や膝の痛み、肩凝りが次々と消えていきました。 そして私はと言えば、身体のだるさは依然としてあるものの、腰の痛みや肩凝りもなくなったことで、さして気になるところがなくなってきたこと、そして三男が大学に進学するにあたって経済的にも大変になってきたことなどもあって、仙骨無痛療法を受け始めて二年がたった頃から次第に足が遠のいていきました。
◆仙骨無痛療法から遠のいていくも再び腰が痛み出し、仙骨治療を再開する
ところがそれから更に二年が過ぎた頃から、せっかく良くなっていた腰痛がまた出てきて、「腰が痛いな。身体が重いな。しんどいな」と感じることが、日増しに多くなってきました。 「そう言えば、仙骨無痛療法を受けていた頃は、あんなに元気だったのになあ・・・」とその頃の自分を振り返り、「叔母さんはあれからずっと真面目に治良を受けていて、本当に元気だしなあ・・・。私も、もう一度MRTに行こう」と思い立ち、歳の瀬も迫る二〇一一年一二月二一日、約二年振りに予約を入れ、仙骨無痛療法を再開しました。 久し振りに受けた仙骨無痛療法で背筋が伸びて腰が伸ばしやすくなり、こんなにも違うのかと、今更ながら仙骨無痛療法の凄さを実感しました。 仙骨無痛療法を再開して一〇回目を過ぎた頃には腰の痛みや違和感が消え、信じられないほどに腰の調子が良くなっていきました。
◆気が付けば、自分を大事にする生き方に変わっていた
それまで三人の息子を育てながらずっと仕事を続けてきた私は、自分のことなど構っている暇はなく、家事に仕事にと休むことなく頑張り続け、気が付いたら自分の身体はどうしようもないほど疲れていました。結局のところ、腰痛をはじめ身体のあちこちに不調がきたすことで、それまでの私の生き方にブレーキが掛かったのだと思います。仙骨無痛療法を受けていなかったら、今もそのことに気付くことなく不自由していたと思います。台所に立っているときも、疲れたなと思ったらしばしその手を止めて、ちょっと横になって身体を休めてみるなど些細なことの積み重ねが、大きな変化を生み出すことになりました。
◆流れに身を任せ、全てを受け入れることができるようになった
自分自身を大事にするようになるにつれ、以前のように何かにつけて迷うことがなくなりました。それまでの私は、何かあるとすぐに「ああでもない、こうでもない、どうしたらよいのか・・・」と、くよくよ思い悩んで堂々巡りするのが常でした。 仙骨無痛療法を再開する中、主人のうつ病の発症や圧迫骨折による入院、そして三人の息子達についてはなかなか思うように結婚話が進まなかったりなど、家族のことでもいろいろありましたが、以前の私のように思い悩んだりすることがなくなり、流れに身を任せることで「なるようになるさ」と思えるようになっていきました。その後、息子達三人はそれぞれ良き結婚相手に恵まれ、そして子宝にも恵まれました。職場の人間関係でうつ病を発症していた主人も、タイミングよく人事異動があったことで環境が変わり、自然に症状が消えていきました。その時々の現実を受け入れることで、全てが納まるところに納まっていったという感じです
◆亡き母と伯母を見倣い、これからも淡々と仙骨無痛療法を続けていく
大好きだった母が、八六回目の誕生日を翌日に控えた今年の六月三日、大往生しました。母は苦しむことなく、そして誰の手を煩わすでもなく、静かに人生の幕を閉じました。ずっと元気が自慢の母でしたが、今年二月に心不全で入院しました。 「私はどこも悪くないんよ。病気じゃないんよ。薬も飲まんよ。早く家に帰りたい・・・」と入院先の病院で、ずっと言い続けていました。ある日、母が大好きなプリンを買って病院へ持っていったときなどは、「ヤッホ~!」と言いながらそのプリンを食べていたほどに、実際のところ母はとても元気だったのです。 母は昔から薬などは飲まない人で、ちょっと身体の具合が悪いかなと思ったらすぐに横になって休むだけで元気を取り戻していました。いつも、自分の身体は自分で治してしまう人でした。 そんな母に育てられた私でしたが、いつの間にか無理を重ねるようになり、体調を大きく崩してしまったことで仙骨無痛療法にご縁を頂き、ふと気が付いたら自分を大事にする生き方に大きく軌道修正がなされていました。そしてそれこそ、私の母の生き方そのものだったのです。 娘である私が自分を大事にする生き方を取り戻したことに安心したかのように、母は逝ってしまいました。そして私はと言えば、大好きだった母が目の前からいなくなってしまったのですから、淋しさはあるものの「お母さん、あっぱれ!」とその死を静かに受け入れ、そして称えることさえできたのです。 私を仙骨無痛療法に導いてくれた叔母も、今も定期的に月に二回MRTに通うことで、「しんどいと思うたことなんか、なーんもないよ!」と言うほどに、元気一杯毎日野菜作りに精を出しています。 この世に私を生み出してくれた母の生き方を見倣い、そして淡々と仙骨無痛療法を受け続けている叔母を見倣い、全てに感謝しつつ、これからも仙骨無痛療法を受け続けていこうと思います。
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