仙骨無痛療法で脊柱管狭窄症が完治、環境も大きく変化!

体験談

2023/10/10

おじいさん1

年齢/80歳 初回治良日/2018年1月23日 リーディング回数/79回  

●「脊柱管狭窄症」によって、MRTに導かれる  

今から約三〇年前、それまで勤めていた会社を早期退職した後、親から譲り受けたミカン山で、ミカンの無農薬栽培を生業として暮らしていました。収穫したミカンはコンテナに入れ、そして出荷するためにトラックに積み入れするのですが、それが二〇㎏もの重さがありましたので、腰に相当負担が掛かり、年を追うごとに腰の痛みがじわじわ増してきていました。「このままだと、もうこの仕事は続けていけなくなるかもしれない…」という不安を抱えながら、それでもなんとかごまかしながら、大好きなミカン栽培の仕事を続けてきていました。ところが二〇一七年頃から腰の痛みがいよいよ増してきてどうしようもなくなり、病院で診てもらいましたところ、「脊柱間狭窄症」と診断されました。  そんなとき、一〇年ほど前に何度も繰り返し読んでいたMRTの本に書かれていた仙骨無痛療法のことがフッと頭に思い浮かんできたのです。その御本を読んでいた当時、機会があれば、いつかぜひ、仙骨無痛療法を受けてみたいものだと思っていたからです。さっそくMRT愛媛に電話し仙骨無痛療法の予約を入れました。  そして二〇一八年一月二三日、初めて仙骨無痛療法を受けました。  「これが仙骨無痛療法…」と、一瞬の治良に驚きと戸惑いを感じつつも、「このままずっと仙骨無痛療法を続けていこう」という前向きな気持ちが私の中から湧きあがってきました。四回目の治良を受けたその日の夜中に急にお腹がグルグル鳴り出し、お腹の左下あたりからボコッと瘤のようなものが隆起してきました。特に痛みも何もありませんでしたので、「これが逆行というものか。仙骨無痛療法を受けたことで、身体の中で何かが起こっているのだろうから、そのうち治るだろう」と思っていました。  仙骨無痛療法は月に二回ぐらいのペースで受けていたのですが、治良一〇回目の頃(二〇一八年八月頃)になると、腰の痛みが少し軽減してきて次第に重い物が持てるようにもなってきて、この先に希望が持てるようになってきました。


●頭を強打して手術を受けるも、全ては必然と識る。そしてその後、脊柱管狭窄症が完治する  

そんな矢先(二〇一八年一一月二四日)、自転車で走行中、頭がふらふらしてきて田んぼに自転車ごと転落して頭を強打し、救急車で病院に運ばれました。  CTを撮ってもらいましたところ、脳内出血していることがわかり、その血塊を取り除くため緊急手術を受け(一一月二六日)、七五㎖の血液を抜いてもらいました。医師からの説明によると、「この血液の塊はそのときのケガによるものではなく、過去に何度も頭頂部を強打している、おそらくそのときのものだったのではないか」ということでした。手術後、順調に身体は回復し、二週間ほどで退院しました。  自転車で転倒して頭の手術を受けることになり、古くからあった血の塊を取り除くことができたことを思えば、今回のケガも偶然ではなく必然で起きたのだと納得できました。そして、何も悪いことは起こっていないのだと思いました。  退院後、しばらくしてまたミカン山の仕事に復帰したのですが、体調は以前にも増してすこぶる良くなり、その翌年(二〇一九年)の三月頃になると、あれほどひどかった腰の痛みは消えてしまい、脊柱管狭窄症がすっかり良くなっていることがわかりました。  腰の痛みがなくなってもなお、もっともっとMRT治良を受け続けて行きたいと思い、月に二度の仙骨無痛療法を毎回楽しみに、そして『月刊MRT』を読むのを楽しみに通いました。  治良三〇回目の頃(二〇一九年八月)になると、以前に比べて歩くのがとても楽になり、自分でも姿勢が良くなってきていることがわかりました。 腰の痛みが消えてしまったことに加え、更に歩くのが楽になったことで、ミカン栽培の仕事もスムーズに運ぶようになり、この分だと、この先まだまだ続けられると、ありがたく思っていました。


●『MRT1ヵ月パス』 二週間で、脱腸が完治する  

ところが、二年前(二〇一八年)の仙骨無痛療法四回目の頃に、突然左下腹部にボコッと出てきた瘤が依然としてまだありましたので気になり、思い切って病院に診てもらいに行きましたところ、脱腸と診断され、「これはもう、手術するしか治す方法はないよ」と言われました。  手術だけは絶対に避けたいと思い、以前から気になっていた「『MRT1ヵ月パス』でやってみよう!」と思い立ち、二日に一度の割合で二〇二〇年六月から集中治良を受け始めました。頻度高く仙骨無痛療法を受け始めたことで、夜は熟睡できるようになり、血圧も安定してきました。そればかりか、『MRT1ヵ月パス』で治良を受け始めて二週間がたった頃、驚いたことに、約二年にわたりボコッと出ていた脱腸が急に引っ込んでしまったのです。  二年もの長い間引きずっていて、医師からも手術するしかないと言われていた脱腸が短期間であっけなく治ってしまったことで、『MRT1ヵ月パス』によるMRT集中治良の凄さを実感しました。手術がイヤでMRT集中治良を受け始めたのですが、正直、こんなに早く脱腸が治ってしまうなど、思ってもいませんでした。


●『MRT1ヵ月パス』終了後、ミカン栽培の仕事は、終わりにしようと、スッと心が決まる  

 MRT集中治良が終わってから二週間ほどが過ぎた二〇二〇年七月一六日、いつものようにバイクでミカン山に向かっていたところ、スリップ事故を起こしてバイクごと転倒してしまいました。幸い、ケガは大したことなく軽症でしたので、病院へは行かず、そのままミカン山へ直行しました。  やっとミカン畑に着いたと思ったら、今度は、信じられない光景が目に飛び込んできました。ミカンの木の根っこがイノシシに荒らされ、掘り起こされてしまっていたのです。  長年大切に育ててきたミカンの木でしたので、それを観て大層落胆しましたが、不思議なことに、「ミカンの仕事は、終わりにしよう」と、スッと心が決まったのです。  その日バイクでスリップ事故を起こしたこと、そしてミカンの大事な根っこがイノシシにやられてしまっていた状況を観て、これはもう「やめなさい」という神からのお示しなのだと、納得できたのです。このことを担当のRTの先生に話しましたところ、「それこそ※種観霊ですよ」と話して頂きました。  本当は、あと五年ほどはミカン栽培を続けたいと思っていたのですが、冷静に考えてみれば、私はもう八〇歳と高齢であり、バイクを運転するのも危険であり、このままミカンの栽培を続けるには無理があると、納得できたのです。  この先、もしこのままミカン栽培を続けていれば、もっと大きな事故を起こしてしまうことになっていたかもしれないのですが、このような日常に展開する事象によって、神の申し示しが成されるのだということを初めて理解することができました。そして『MRT1ヵ月パス』で集中治良を受けることで、身体だけではなく自分を取り巻く環境まで変わってしまうのだということを体験致しました。  その翌々日、潔くバイクを売り払いました。それからは、時間もありますので、毎朝六時頃から四〇分ほど川べりを歩くことが日課となりました。体調はすこぶる良く、身のこなしも以前に比べて機敏になってきています。これからも、仙骨無痛療法を楽しみに受け続けて参ります。  体験談は個人の感想であり、仙骨無痛療法による効果を説明するものではありません。


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